悪名高き人物ヒストリー

歴史の中で悪名高き人物を紹介します。

第一弾 伝説のヤクザ 悪魔のキューピー 大西政寛(後編)

拘置所にいるときに不自由な生活に我慢がならなくなった大西は、拘置所の床屋係から

刃物を奪って自分の腹を切って、飛び出した腸を抱え病院に運ばれ重傷の大西は即日釈放された。

無茶苦茶なことをし釈放された大西が言ったセリフが

「腸は思ったより重いもんじゃの」

常人だと考えられないような行動こそ大西の異常性が伺えます。

そんな逸話が何個もある大西のため周りの人間に逆らうものはいなかったという。

広島抗争で有名な組で新興の山村組、山村辰雄組長が大西を手懐けて刺客を放ち、

土岡組が暗殺された。この件で大西は山村組へ引き抜かれることとなった。

 

大西は妻と歩いているときに、チンピラから妻を売春扱いされ口論になり

そのチンピラがこともあろうに言ったセリフが

「俺が山村組の大西だ」

と本人の前で噓をついたから、大西の怒りは頂点に達したが妻がなんとか宥めて一旦収まった。

そこで終わらないのが大西で後日そのチンピラの居場所を突き止め射殺した。

この事件で大西は指名手配となり隠れ家に潜伏していたが、密告が入り包囲され

反発する大西は屋内に入った警察官を射殺し、外へ逃げようとしたところを背中から

別の刑事に撃たれ死亡する。

享年27歳

ここで話が終わらないのが大西のすごいところで、実は密告したのは大西を手懐けて組に入れた山村組組長だと言われています。

広島市呉市で勢力を伸ばし邪魔になった大西を殺ったと言われています。

なぜそれがバレてしまったかというと大西の母親が山村組長に

「自分の息子を売ったのはあんただろ」

と脅して大金をせしめとったいわれているからなんです。

さすが大西の親ですね~

以上悪魔のキューピーこと大西政寛の波乱万丈の27年間でした。

 

第一弾 伝説のヤクザ 悪魔のキューピー 大西政寛(中編)

前回の続きになります。

 

向井組の大西は波谷組との和解の場で拳銃を出す暴挙に出たが、これがきっかけで波谷組と面識を持ちのちに波谷組の組長となる波谷守行さんと繋がりができたとされている。

同時期に土岡組組長の土岡博の舎弟となっています。

 

16歳の時食堂でビールを飲んでいる大西に海軍の軍人が「お前のようなガキがビールを飲むのは早い」と言われると、大西は刃物で軍人の腹を刺し片耳を切り落としてしまうということをしてしまう。

この一件で大西という危険人物が世間に知れ渡ってしまいます。

 

その後第二次世界大戦で大西は中国へ軍人として出兵し、主な役割として中国では捕虜の斬首役をしていたといわれています。

「首を切らされる物は切られるものより根性がいるけど」というセリフは有名になります。

大西自身は中国での経験は極力話すことはなかった。ただ母親の前だけではヒソヒソと戦争体験を語ったともいわれています。

残虐で凶暴な大西でさえ中国での経験は悲惨な現状だったと想像されます。

 

そんな時代の中第一次広島抗争が勃発する。

土岡組の悪口を言った桑原組の物を大西が成敗する中で、小原薫の左腕を切り落とし、さらに小原の叫び声を聞いて駆け付けた、兄弟分の左腕も切り落とすという事件があり

大西の異常な残虐性が世間に知れ渡るようになりました。

 

童顔でかわいい顔に反して異常な残虐性から悪魔のキューピーと言われるようになった。

 

後半に続く

 

 

 

 

 

 

 

第一弾 伝説のヤクザ 悪魔のキューピー 大西政寛(前編)

大西政寛


さてやってまいりました。

第一弾としてかわいい顔して残虐極まりない、悪魔のキューピーこと大西政寛の歴史をお伝えします。

 

大西政寛は大正12年広島産まれ、裕福な商店の子として生まれるが、

2歳の時に父親がモルヒネ中毒で離婚し家を追い出され、大西さんは祖母の家で育てられたといわれている。

 

近所の子から「お前の父ちゃん頭おかしくて死んだんだろう」とからかわれそのたびに喧嘩になった。

 

幼少期から荒くれ物として環境の悪さからグレル要素満載でした。

祖母の死後は再婚していた母親の下に引き取られてしまう。

 

小学校の頃は授業はそっちのけで絵ばかり描いていたそうです。

その絵はコンクールに入選して優勝するほどの才能だったそうです。

 

ただ読み書きは一切覚えず高校に進学します。

 

高校の先生から「読み書きは覚えなきゃならん」と言われ、プッチンときた

大西少年は先生の頭を文鎮で殴るという暴挙に出ます。

先生は三か月の重傷という大けがを負います。

 

そんな荒れ狂った大西に義理の父から、向井組というまあヤクザの組を紹介され

入ることになります。

 

向井組に入った大西はある時、波谷組と向井組の若い衆がけんかになった時に

両組織の代表が料亭で和解している席に忍び込み向井組の代表の後ろから、拳銃を出して波谷組を脅すという暴挙に出ます。

その時は向井組の代表が大西をたしなめて拳銃をしまわせます。

 

後編に続く